目に見えない「こころ」を扱う

からだの部分に何かを患い、検査をして「病として存在するもの」を確認すると、それには名称がつきます。「存在するもの」と認知されたものに対しては、薬を処方したり、外科的手術をして、あったものをなかったことにして「治療」します。


科学の世界では、目に見えないものは「存在しないもの」として扱われます。

本当に目に見えないものは「存在しない」のでしょうか。


こころは、かたちとして出現させることはできませんが、行動でその人のこころを見たり、知ることができます。自分のからだを動かしているのは「こころ」だからです。


一般的には「どんな行動をするか」を「病として存在するもの」として名称をつけ、認知できるようにします。存在するものと認識できれば、治療ができます。行動を抑制する薬を処方することもできます。


時に、クスリが必要な局面もあるでしょう。完全には否定しません。


でも、こころは、私そのもの。目に見えないけれど、存在しています。

クスリによって行動はなかった(または抑える)ことにできても、

果たして私そのものにアプローチすることができるのでしょうか。


本当に大事なことは、目に見えない部分にこそあるのだと思いませんか?自然療法的なアプローチは、目に見えない「私そのもの」の領域をケアします。


押し売りやお仕着せはしません。でも、あなたが希望すれば、自然療法によるこころのケアが、ここにはあります。


そしてその歩みは緩やかなものかもしれないけれど、その歩みを見守るおばちゃんも、ここにいます。




ZUSHIおばちゃんち

アフターケア居場所事業